私が映像づくりを始めたのは、もうはや4年ほど前になる。以前からやろうやろうと思って後回しにしていた、YouTubeへの動画投稿がきっかけだ。当時最も好きなゲームの1つである『キングダムハーツ』のナンバリングタイトルが新たに出るということで、自分の気持ちの高揚を表現する先がYouTubeへの投稿という形となった。
その後暫くしてコロナが流行、対面での仕事をしていた我々は、映像という形で人と対話する必要性が出てきた。私はその際職場のYouTube開設、投稿動画の企画から撮影編集に至るまで全て携わることができた。
コロナが少し落ち着いた頃、それまでの経験を活かし、何か大きな作品を作ってみたいと考えた私は、職場のCM制作を企画。おそらく人生で初めてちゃんと絵コンテを準備し、仲間と共に完成までもっていった。
またある時は、友人の結婚パーティーに招待してもらい、彼・彼女らの写真を用いた懐かしさ溢れるオープニングムービーを作らせてもらうこともあった。そしてそれを見た別の友人が、映像編集ができる人を探しているという企業に私を繋いでくれ、企業の採用動画制作に携わることができた。
そして今は新たな会社で、小学生にクリエイティブの楽しさや学びを届ける映像作りをしている。4年強という歳月はあれど、こうやってまとめてみると、意外と順調にステップを踏めていることに感動している。機会をくれた皆に感謝しかない。
ただ、私は私を "クリエイター" と呼ぶには遠い存在だと思っている。私の中でそれの定義は『周りが「この人の表現は新しい!面白い!」と驚きや発見を届けられる存在』であって、私の映像にはその要素よりも『この目的なら、こんなアウトプットになるであろう』というデザイナー的な要素が多い。
あぁ、知っている。これはただの嫉妬である。以前私がチームを組んでいた、あるクリエイターは、その世界観やスキル(POPでファンクな絵やデザイン)を周りの人にも認識され、笑顔を届けていた。彼女はこれを認めないと思うが、私の4年なんかとは比にならない努力が詰まっていることを知っている。
そんな憧れがありつつも、一方で制作をじっくりと極めるのは私の性に合っていない。上には上がいるという現実を直視したくないし、マルチであることを取り柄として生きていきたいと思っているからだ。私は面倒な人間なのである。
ウダウダした文書になってしまったが、そろそろ終話に向かおう。私は制作することは楽しいし、引き続きやっていきたい。じっくりと極めることはできなくても、『周りよりはちょっと映像を触っている人』として、認識してもらう必要はあると思う。そのためには自分自身がクオリティに満足していなくとも、絶やさず制作した映像を公開していくべきだ。
世間でAIの存在感が増し、(制作をはじめとして)あらゆる人間の立ち位置が問われている昨今。スキル面だけに捉われず、自分のキャラクターや世界観も伝えられるよう、引き続きHPの更新に努めていきたい。
(2023年11月追記)
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