本日の文書は、悲しい内容を含んでいるため、精神が安定されている方のみ、先に進むことを推奨したい。
私はジョジョの奇妙な冒険が好きだ。作者である荒木飛呂彦さんのカリスマ性、「血統」「覚悟」「人間讃歌」などのテーマ性、突拍子も無い展開から感じられるアート性(論理で読むのではなく、感覚で読むべき作品)、全て私の癖に刺さっている。
ジョジョのキャラクター達は「スタンド」と呼ばれる「生命エネルギーが作り出すパワーある像」を用いてバトルを繰り広げるが、「スタンド」の強さはキャラクター本体(魂)の精神力の強さに大きく依存する。精神力・魂のぶつかり合いだ。
さて、そろそろ、悲しい内容が不意に目に入らずに、進みたい人だけが進めている状態になっただろうか。
2ヶ月ほど前、私は1人の仲の良い友人を亡くした。私はその1週間ほど前にLINEを送っていたものだから、人伝いにこの事実を聞いたときは衝撃が走った。その人を知る多くの人にとっては非常に突然のことであったと思う。
あれは2,3年ほど前だろうか。ご飯に誘ってもらい、2時間ほどお互いの近況報告をしていたあのとき、これまで比較的近い存在であったその友人が、どこか遠い世界にいってしまった感覚があった。友人の近況報告からは、「やりたいことをやっているワクワク感」を感じられたし、「自分にはその行動が必要だ、という論理」も理解できたし、「忙しいながらも自分の身体を労っている」ということも確認できた。だからその時から少し離れて見守ることにした。
しかし、もしかしたら、その頃から友人の中の歯車はくるい始めていたのかもしれない。
自分の人生を決めるのは自分自身であると私は思う。自分の「ワクワクしていること」や「必要だと思っていること」、そして「身体の健康」は他人に侵食されたくないし、その分自分からも侵食すべきではないと思っている。上記の友人に対してもこの信念の元行動したまでだ。だが、時には踏み込まなければならない、そんな瞬間だったのかもしれない。
時に、少しスピリチュアルな話をしよう。私は、人には「感情」「思考」「身体」の3つの柱があり、その土台に「魂」のようなものがあると考えている。3つの柱はどれか1つが欠けてもダメで、常にバランスを取りながら人は生きているのだ。「魂」にはその人の本質があり、容易に触れることはできない。(知識不足で申し訳ないが)フロイトやユングの「無意識」と近しい概念ではないかと思っている。この3つの柱がうまくバランスを取れているとしても、本質である「魂」と方向性を異にしていると、いつか人は瓦解してしまう。
今回の経験から私は、出会う人とは出来る限りの努力をして、「魂」の部分でぶつかり合える人間であろうと思った。そして、仲の良い友人とは定期的に会う約束を取り付け、お互いの現在地を理解し合い、歯車がくるっているかもしれないと感じたら(仲良くないと歯車まで見られない)、意を決してそれを伝える努力をしよう。
私はジョジョの奇妙な冒険が好きだ。その友人も好きだった。友人が最も好きなキャラクターは、第5部「黄金の風」より、ブローノ・ブチャラティ。私が最も好きなキャラクターは、ブチャラティの盟友、主人公ジョルノ・ジョバーナだ。彼の最大の「スタンド」名は「ゴールド・E(エクスペリエンス)・レクイエム」。
この文書を友人への鎮魂歌としよう。
読んでくれてありがとう。
(2023年11月追記)
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