何事にも距離というものがある。地元名古屋に住む友達と私との間や、満員電車で侵され続けるパーソナルスペースにも、はたまた友達や職場の人との間にも存在する、空気を読み合うという意味での距離。更には、自分の好きなものにはお金や時間をどれだけでも使える!なんて話に関しても、距離という言葉が使えると思っている。最近、私はどうやら多くの面で、ものごとと適度な距離を取っているということが分かってきた。
前職では教育に携わっていたが、中高生との距離感は常に気をつけなければならない。100人単位で人と出会っていれば、とてつもなく気の合う相手など、気がついたら見つかる。そんなとき、相手との距離感を気をつけていないと、問題が起きる可能性が増える。学校の先生が「うちのクラスの先生は女子ひいきしてる。」という話がうまれる要因の1つは、先生が生徒との距離感を間違えてしまっていることにあると思う。もちろん、好き嫌いは誰でもあるものだし、全ての相手を平等に扱うことは出来ないけれど、距離が近すぎていないか、という観点は重要だと思っていた。
ただこれは、別に教育に限った話でもない。友人関係から恋愛まで、距離を詰めすぎると、相手への気持ちは依存に変わり、「なんで分かってくれないの!?」という気持ちになってくる。実際、今思えば私は高校生くらいまで友人との距離感を掴めず、友人の「これ一緒にやらない?」「これ試してみてよ。」なんていう種々の要望になるべく全て応えようとして、めちゃくちゃ寝不足になっていたりした。(かわいいもんだが。)友人と仲良くしたいという気持ちは確かだし、いい思い出だけれど、きっと同じような立ち振る舞いをしている人も、させてしまっている人も、この世の中には結構いるんじゃないかなと思う。
最後に。距離を取る、というのはどこか寂しい言葉に聞こえるかもしれないが、それは大きく間違っている。私は大木のように、お互いが伸び伸びと生きていくために必要な距離感を保ちながらも、大きな愛を持ってあなたに、物事に、この世界に接しているつもりだ。お互いが伸び伸びできるときこそ、最高で最強なのだ。
(2023年11月追記)
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